今や遠い昔のこととなった阪神教育闘争の物証が、奇しくもアメリカ国立公文書館の段ボール箱の中から見つかった。

改めて、闘争の経緯を振り返ってみよう。

祖国解放から3年後の1948年1月、文部省はアメリカ軍の指導の下、朝鮮人子弟を日本人学校に就学させるよう各都道府県知事に通達を出し、民族学校の強制閉鎖を命じた。これに対し、山口県や阪神地区などで反対運動が起こった。

同 年4月24日、神戸では大阪の反対闘争に続いて生徒、教師、父母など1万5千名が兵庫県庁近くの公園に集まり、うち数百名が県庁に突入し閉鎖命令を撤回さ せた。あわてた連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥は第8軍司令官アイケルバーガー中将に指令し、抗議行動を「暴動」として非常事態宣言を公布 し、武力で運動を鎮圧した。結果、1700名あまりが逮捕され、そのうち136名が軍事裁判にかけられた。これが、いわゆる「阪神教育闘争」である。

さ て見つかった物証のことだが、それは五十数年前の葉書の束である。陳情書、嘆願書、署名用紙などといっしょに段ボール箱の中にぎっしり詰められていた。カ ビの匂いがかすかに鼻をつく。よくぞこんなものを今まで保管していたものよ!と感心させられる。そのほとんどがマッカーサーや、アイケルバーガーにあてた 子供たちの手紙だ。神戸はもちろん、大阪、山口、東京など各地から出されている。どれもが拘束された先生の釈放を願う文面だ。

「神戸教育事件の罪のないぼくらの先生たちをはやく釈放して下さい。マッカーサ元帥様、どうかぼくらの先生をはやく出して下さい。マッカーサ元帥閣下 オ ネガイシマス」といった具合である。差出人は兵庫県多可郡西脇町下戸田1 朝鮮多可小学校内 趙熙済となっている。教師の指導で、教え子たち皆で書いたの であろう。似たような文面の膨大な数の葉書だ。あれから60年近い歳月が流れた。あの頃、健気に手紙を書いた子供たちもすでに白髪の交じる年齢になってい る。まさに光陰矢の如しである。人は確実に老い、そして消える。だからこそ、歴史を刻んだ物証を保存することの大切さを改めて思い知らされた。(呉徳洙:映画監督)

 
 
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