大極旗を中心に配した防犯ポスターは、故朴慶植先生がその著書『解放後在日朝鮮人史』(三・一書房、1989年)で紹介したものである。
上野警察防犯協力会の主催する盗難防止月間用で、上野警察署後援とあることから、上野署管内のあちこちに貼られたとみられる。時は1946年10月、場所は上野だが、大阪、神戸、福岡などの朝鮮人多住地域にも同じようなものがあったと思う。
他者を貶(おとし)めるにはいろいろ手段があるが、ここにみえるのは朝鮮人であるがために犯罪人扱いをしていることである。なぜこんなものがつくられたのか。
日本帝国主義はその生成、発展の全過程で朝鮮を踏み台にしたことで生まれた痼疾(持病)の朝鮮観があった。朝鮮民衆は戦闘的に闘った。犠牲も多かった。その手ごわさが不逞、不穏な「鮮人」認識となったことはよく知られている。
朝鮮人は45年8月15日を解放として歓喜したが、再生日本の支配層はその朝鮮人をどうみたのか、46年8月、日本国会で推熊三郎代議士(進歩党)の有名な演説の一部を紹介しよう。
朝 鮮人は日本の「警察力ノ微弱ニ乗ジ凶器ヲ携ヘ徒党ヲ組ミ驚クベキ凶悪性ヲ発揮シテ当該住民ノ生活ヲ脅カスコト実ニ言語ニ絶スルナリ」、「見ルニ堪ヘサル此 ノ行動ハ敗戦ノ苦シミニ喘ギ来ッタ我等ニ取リマシテハ正ニ全身ノ血液ガ逆流スルノ感情」と言った。かつての強大な権力を駆使しても天皇の御陵威にもなびか なかった「悪い奴」が跳梁跋扈しだしたとの認識である。
ポスターが推熊演説に呼応していることは言うまで もない。そう思ってポスター製作時の警視総監鈴木幹雄(46年6月8日〜47年2月4日在任)の経歴をみると内務省警保局事務官、北京駐在官、警視庁特高 外事課長を歴任、大日本帝国の「鮮人不逞団」、「いちばん悪い奴」とのきり結びの第一線にいた人物であった。
特高経歴者が各地方の知事や警察幹部として登用、再任されていることは全国的傾向で、新生日本が在日朝鮮人をどう考えたかを反映した布陣とみてよい。
戦 後第1回総選挙(46年)で在日の参政権を「戸籍法ノ適用ヲ受ケサルモノハ当分ノ間之ヲ停止ス」として剥奪、47年5月2日、天皇の最後の勅令第207号 が朝鮮半島出身者は「当分の間之ヲ外国人トミナス」とし、翌3日発布の新憲法のあちこちに「国民ハ」の一句を挿入、日本人の享有した民主的権利から在日を 排除したこともこうした認識から生まれたのである。
60年前の1枚のポスターは我々の父母や祖父母の体験した「民主」日本社会のあらたな差別排外の実像を伝えているといえよう。 (姜徳相:当館館長・滋賀県立大学名誉教授) |