鄭命連ハルモニ(79・長崎県佐世保市)の手元で60年以上、大切に保管されてきた麻布(サンべ)のソクパジ。年月を経ても変色せず、麻本来の風合いも損なわれていない。帰国して再会する夢をついに果たせなかった、愛しい母につながる思い出の品。

このソクパジは1940年、日本に渡る際に、オモニから嫁入り道具として、綿布(ミョンべ)のチョゴリなどとともに手渡されたものだ。

当時、韓国では娘のために、嫁入り道具を何年も前から準備したという。特に女性は体の線が出ることは失礼にあたるということから、下着には気をつかった。

ソクパジはオモニが一人娘の幸せを願いながら糸を紡ぎ、機織り機で織った布を丹精込めて一針一針縫ったもの。「仕上げまでに5、6年を費やした」という。

昔の家庭では、娘たちは嫁入り前のたしなみとして、機織りの知識と技術を母親から教わった。機織りは傍目には簡単に見えるが、実際は糸が切れたり絡まったりするほか、全体を均一にするための糸張り調整には高度な技術を要する。

鄭ハルモニもオモニから習ったが、手作りのソクパジの麻布を「最高の布」と評するように、オモニの高い技術には、追いつくことができなかった。 

43年に結婚。解放1カ月前、夫の義兄が戦時徴用船に乗船。この頃、夫は福岡で日本軍の食料などを貯蔵する防空壕掘りの仕事に就いていた。

解放を迎え、帰国するつもりで所帯道具を韓国に送った。わずかな品物と一緒にソクパジは手元に残した。

だが、義兄の消息が途絶え、万が一のことを考えて「義兄が戻るまで」と日本に留まった。早く親に会いたかった、何が何でも韓国に帰りたかった。帰郷への思いが募る一方で、日々の生活に追われるうちに母と再会する機会を逃してしまった。

それから60歳になるまで夫とともに働いた。当時住んでいた住居からほど近い場所に海岸があった。海水を薪で炊きあげ、塩を造った。当時、塩は貴重品だったために、噂を聞きつけた人々が米や衣類、食料品などと交換するためにやってきた。

その後も日本に留まった同胞たちと一緒に焼酎を造ったり、地金の商売で金を貯め、小さいながらも家を建てることもできた。

二人三脚で歩んできた夫が死去したのは3年前のことだ。現在、長男夫婦と幸福な毎日を送っている。そんな鄭ハルモニの苦楽を、そっと傍らで見守ってきたであろうソクパジ。だが鄭ハルモニはそのソクパジを一度も着用したことがない。

「日本ではもんぺとかはいていた」というが、母の大事な思い出を、少しでもすり減らしたくなかったに違いない。

今回、「在日同胞歴史資料館」への寄贈にあたり、母の思い出を手放すという気持ちもあったという。だがそれ以上に「私が亡くなったら捨てるしかないソクパジを、利用してくれるのがありがたい」と喜びが勝った。

ソクパジは鄭ハルモニの手元から離れはしたが、海峡を越えた母娘の情愛と足跡は消えない。(鄭優子:記者)

 
 
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