この古典的で少し時代かかった旅行カバンは筆者の友人P氏の遺品である。物がその年齢を語っているように60年前、韓国で作られたものと思われる。というのはカバンを寄贈されたP氏の奥さんが、彼が渡日したときに必需品を入れてきたものと言われたからである。

P (故人)氏は私の大学時代の友人である。歳は私より1、2歳上だが、51年入学の私と同学年生であった。私がP氏から聞いた話では彼の渡日は朝鮮戦争と深 い関係があった。直接的には徴兵忌避であったが、もう一つは家族の再結合であった。彼の家族は45年に入ってすぐ朝鮮の故郷(大邱の近郊)に疎開した。父 と長兄は事業の関係で日本に残った。8月15日が来て所謂国境となった玄界灘が家族を引き裂いた。音信、送金が止まり苦労したという。

そ うした時戦争の勃発、徴兵忌避と高校を卒業し向学心を抑えきれないP氏の日本行きを母親が許した。渡航を斡旋するブローカーがいて、その先導で馬山近くの 漁港から10トン足らずの小さな船で、波の荒い玄界灘を3日も揺られて着いたのが唐津付近の海岸であった。同行者は30名もいて小さな船の船底はいもを詰 めたようで、激しい荒波におびえた。船酔いがひどく、吐くものがなくなっても黄色い胃液が出た。あんなつらい旅はなかったという。所謂密航はみんなこんな ものであった。彼の場合ラッキーだったのか上陸するとすぐ近くの同胞の部落に入り、そこからの連絡で迎えに来た長兄と再会した。

そ の父や兄を訪ねて何千里、家族再会の旅路の一部始終を見ていたのがこのカバンであった。カバンだけ見たのでは少しスタイルの違う旅行カバンとしか見えな い。だがその少し違うスタイルから、これが何処で作られ何を見てどのようにして今ここにあるのかを知ると、在日史にとって解放後の家族分断の悲劇、その苦 難の再結合をしたP氏の個人史が浮かびあがる。そうした個人史の個々の積み上げた総体が在日史であることも。そして、家族には共に住む権利があることも。 (姜徳相:当館館長・滋賀県立大学名誉教授)

 
 
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