私の手元に一枚のセピア色の写真がある。

1936年(昭和11年)、秋田県は花輪町(現・鹿角市) で撮られたものだ。なんと68年も前である。なぜ分かるかというと、中央左側で抱かれている幼児が今年68歳になるからだ。私の兄である。抱いているのは 3年前他界した母で、その後方が父である。当時父は土木工事の請負業で、いわゆる「組」を成していた。その家族たちとの写真である。

ちなみにこの年は青年将校たちが決起した二・二六事件があり、孫基禎がマラソンで金メダルに輝いたベルリン・オリンピック大会があった。また、日中戦争の前年でもあった。

内務省警保局の資料によると、この年の日本への渡航者は11万6千人、在日の総計は70万人と記録されている。

それにしても写真の人たちは、汽車で釜山に出るのも大変だったであろうあの時代、玄界灘の荒波を越え、なぜ遙か東北の片田舎までやってきたのだろうか。私 自身の在日半生を思う時、ついこだわってしまう。「仕事があったから―」だけではどうも納得がゆかない。写真の一人ひとりにインタビューしたいところだ が、ほとんどはこの地の土となり、今となっては叶わぬ相談である。写真は衣裳、履き物、帽子など、どれ一つとってもあの時代を見事に写し出している。

現在、在日歴史資料館の設立準備が進んでいる。その一環として、その時代時代を写した写真の収集を進めている。「在日」の歴史を編む時、写真こそ一級の資料と私は思う。

過 日、大阪人権博物館「リバティーおおさか」の文公輝学芸員から、叔母の家の祭祀で何気なく手にした本棚のアルバムから朝連・福井の貴重な写真を見つけたと いう話を聞いた。ことほど左様に、どこの在日家庭にも「お宝写真」が眠っているはずである。写真は時代を経るとともに散逸する。そうならない内に、長い歴 史を生きてきた「在日」の確たる証拠としてその収集が急がれる。そして、それらを後の世まで残したいと念願している。(呉徳洙:映画監督)

 
 
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